球磨地域は、独特の風味と品質で評価される焼酎の産地として知られています。
九州は熊本。
その最南端に位置する人吉・球磨地域。
同地域は熊本市から南へ80km、
峻烈な九州山系の懐深く幽玄な趣を秘めた山々に囲まれた盆地にある。
その美しい山々から良質の水が流れ出し、
その水がつくりだした日本三大急流のひとつである清流球磨川は地域の象徴。
盆地特有の寒暖の差が激しい気候と風土が育む豊かな大地が、
熊本でも有数の米どころをつくり上げた。
また人吉球磨は、鎌倉時代から明治維新まで代々700年。
この地は相良(さがら)藩によって治められてきた隠れ里であった。
この奥まった環境が熊本とは違う独自文化を育み、
米から造る極上の本格焼酎「球磨焼酎」が誕生した。
400年以上の歴史を誇る「球磨焼酎」文化
人吉・球磨地方では、少なくとも戦国時代から
焼酎が愛飲されていたと推測されている。
藩主相良氏は当時、東南アジアや大陸と活発に交易をしており、
中国や朝鮮半島、あるいは東南アジア、琉球などから
蒸留技術が持ち込まれたことが、焼酎造りのきっかけではないかともいわれている。
また、この地の温暖な気候が日本酒造りには
あまり適していなかったことも推測される。
焼酎は瞬く間に人吉・球磨の人々の心を魅了していった。
以来、「球磨焼酎」は戦国時代に大陸から人吉へと伝わった焼酎の製法と、
人吉球磨の独自文化が作り出した技を融合させ、
400年以上のあいだ変わらず受け継がれ、由緒と伝統を守っている。
「球磨焼酎」のうまさは、朝霧深い山里を稀に訪れる旅人たちによって
幻の酒伝説として全国各地へ広がっていった経緯もある。
それだけ、貴重な〝秘境の名酒〟であり、
だからこそ歴史に埋もれずに今日の発展を遂げた。
銘柄の味を大きく左右する造り手“杜氏”達は、先人から受け継いだ味を守り、
新しいものを模索していく。
その職人の一徹な想いによって「球磨焼酎」は、
この地域の誇るべき文化として、日々磨かれ続けている。